『いのきちさん』過去記事紹介(『いのきちさん』29号 2016年7月1日発行 掲載)
―2011年11月から2017年11月にかけて刊行された、井の頭恩賜公園100周年カウントダウン新聞『いのきちさん』。ご愛読くださっていた方々の声にお応えし、掲載当時の記事をご紹介していきます―
*一部の記事のみ抜粋してご紹介しています。
*はな子追悼特別号の全文PDFは、下記画像リンクからご覧いただけます。
はな子追悼 特別寄稿
その生涯を通して平和の大切さを教えてくれた
井の頭自然文化園 前園長 成島悦雄氏
5月26日、アジアゾウのはな子が突然、逝ってしまった。
3月に予定されていた69歳の誕生日を祝う会が中止されたとき、健康は回復したが大事をとって中止になったと聞いていたので、来年70歳の古希のお祝いを楽しみにしていただけに、とても残念である。
ご存じのように、はな子は子ども達の熱い願いにこたえて敗戦後、日本に最初にやってきたゾウである。来園当時2歳、当初上野動物園で飼育されたが、7歳の時、井の頭自然文化園に引っ越してきた。以来、60年を越える時間を井の頭で暮らした。
動物に愛称をつけると、その時点からその動物は特別な存在となる。はな子は生物学的にはアジアゾウであるとともに、「はな子」という人格を与えられて、人々の心の中に住むようなる。はな子の魅力は大きく、それぞれの方がそれぞれのはな子との思い出を大切にしてくださっている。
69歳という長寿記録を達成できたのは飼育担当者の丁寧な世話と皆様の暖かな応援のおかげである。猛獣処分で殺された上野動物園のアジアゾウ花子の名前を引き継いだはな子は、その生涯を通して平和の大切さを教えてくれた。はな子の思いでを胸に、穏やかに動物園で過ごせる平和を守っていきたい。
はな子にひとこと
ホース、タイヤ、炊飯器等主を失った道具たちを思い出すと泣けてきそうです。はな子さん長い間ありがとう。
友野智子(56 歳・武蔵野市)
イラスト作品のモティーフにしたり、娘が幼かった頃の家族の思い出もあったり、はな子さんは日常に溶け込んだ存在でした。まだ実感がありません(涙)。はな子さんありがとう。
イラストレーター 小坂タイチ(38 歳・三鷹市)
象を見に来る子供達の「はな子さ~ん」という声をかける光景は、私が子供だった頃も、孫世代の今も同じでした。「はな子さん、今頃は故郷の大地でゆっくり歩いていますか?」
城井藍子(68 歳・三鷹市)
お別れをしたく、三鷹の母親と弟家族を誘い、子供2人と松戸から来ました。はな子さん、長い間ありがとうございました。
亡くなった週の日曜日 5/29 関 朝(36 歳・松戸市)
初めて会ったのは幼稚園の時。優しい目に元気をもらいに来るようになりました。息子と上野動物園に通った時期も、一人でここに来ました。今日は駅から涙が止まりません。
6月10日 花束を供えに来られていた人 鈴木智子(63 歳・世田谷区)
ゾウが鼻で♡を描くモチーフの手ぬぐいは、井の頭といえばはな子さんと思って作りました。亡くなる1週間前に最後に会えてよかった。はな子さんありがとう。
手染め手ぬぐい屋ともぞう本舗
惜 別
井の頭自然文化園のアジアゾウの「はな子」が2016年5月26日に亡くなりました。その69年の歩んだ道は、われわれ人間に振り回された波乱万丈の一生でした。野生動物である「はな子」の気持ちは分かりませんが、多くの人々に驚きと癒しと元気を与え続けてきたことは確かであります。そして、長生きをし注目された分、彼女の命を支えてきた多くの職員や獣医師の方々の苦労も知ることになりました。さらに、「はな子」の存在が、私たちに動物園のあり方や野生動物との共存を考えるきっかけをつくってくれたことは、癒された数々の思い出とともに感謝したいことであります。
「はな子」さん、あなたのことは忘れない。安らかに眠ってください。
いのきちさん編集長 川井信良
※本記事は掲載時点の情報であり、最新のものとは異なる場合があります。
(『いのきちさん』29号 2016年7月1日発行 掲載)