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私と 井の頭公園 |その1「二度助けてくれた井の頭公園」 川井信良

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『いのきちさん』過去記事紹介(『いのきちさん』創刊号 2011年11月1日発行 掲載)
―2011年11月から2017年11月にかけて刊行された、井の頭恩賜公園100周年カウントダウン新聞『いのきちさん』。ご愛読くださっていた方々の声にお応えし、掲載当時の記事をご紹介していきます―

二度助けてくれた井の頭公園

川井信良 (三鷹市在住)

 

今からちょうど五十年前、千駄ヶ谷から三鷹に引っ越してきた。私が小学六年生になる春であった。家を手放し、一家で三鷹の店舗付アパートに転がり込んだのだ。そのことに幼いながらも都落ちを感じた。未舗装の道路、舞い上がる土ぼこり、プールのない学校がそんな思いに拍車をかけた。

ある日、父とすぐ上の兄とで初めて 井の頭公園 に行った。橋から覗いたその池は、陽の光が池の底まで届いて、水草がきらきら揺らめき、その間を大小の魚が行き交っていた。とてつもなく美しいと思った。

原宿にある東郷神社の池でクチボソやタナゴを釣って遊んできた私は、濁っている池しか知らなかった。しかし、井の頭池を見て、やっと千駄ヶ谷の友達に自慢できるものに出会ったと思った。三鷹に住んでもいいと思った。

それから四十四年後、末期まで進んだ咽頭がんが見つかった。とりあえずの治療を終え、自宅に戻った八日後、女房の肩に支えられて初めて外出した。井の頭公園西園の芝生を横切り、ほたる橋を渡り、檜の大木に囲まれた場所に着いた時だった。一瞬爽やかな風が吹き、見上げると抜けるような空となびく木々、そして、信じられないことが起きた。天空からきらきらと光るものがシャワーのように降りそそいできた。それまで、ここが寿命だと達観してきたはずだったが、激しく「生きたい」と思い、泣いた。

私は人生の大きな節目で二度井の頭公園に助けられた。すでに金魚鉢を覗くような美しい池ではないが、そしてあの降り注いだ光るものも再び見ることはできないと思うが、私にとって井の頭公園は特別な存在となっている。

百周年カウントダウン新聞『いのきちさん』の発刊は、そんな感謝の気持ちが背中を押した。加えて五十年前、あの店舗付アパートで始めた印刷屋が、五十周年記念事業の一つとして制作支援できることが、うれしく、感慨深い。

(株式会社文伸 代表取締役社長)

※本記事は掲載時点の情報であり、最新のものとは異なる場合があります。
(『いのきちさん』創刊号 2011年11月1日発行 掲載)

 


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