『いのきちさん』過去記事紹介(『いのきちさん』2号 2012年1月1日発行 掲載)
―2011年11月から2017年11月にかけて刊行された、井の頭恩賜公園100周年カウントダウン新聞『いのきちさん』。ご愛読くださっていた方々の声にお応えし、掲載当時の記事をご紹介していきます―
針葉樹がうっそう 深山幽谷の様相
鈴木育男 (武蔵野市在住)
もう75年前になりますが、5歳くらいから 井の頭公園 で遊んでいました。僕の遊び場でしたね。当時の井の頭公園の形そのものは、今とそう変わらないけど、木が違う。針葉樹がうっそうとしていたんです。湖面に霧がすうっと流れていてね、それはまさに深山幽谷の様相でしたよ。それが、昭和19年20年に伐採があり、戦後、今のような広葉樹が植えられたわけです。伐採した木は、戦争で亡くなった人の棺おけに使われた、といううわさは多分本当でしょう。
それとね、やはり池の水。とにかくきれいだった。七井橋から池の中をのぞき込むとね、池の水が川のように流れている。それは水草で分かるんですよ、たなびいているから。多分湧き水が強く噴き出して流れを作っているんじゃないかな、それはそれはきれいでした。
池ではいろいろなものを捕りましたよ。エビ、タナゴ、クチボソ、ダボハゼ、ゲンゴロウ、それとミズカマキリもいたなあ。ひょうたん池のすぐ先の神田川ではウナギも捕れたんですよ。釣糸に絡み付いてね、びっくりした。それとイモリ、お腹が赤いアカハライモリです。気味が悪いのが釣れてしまって怖かったけど、今思えば一番の思い出かな。(笑)
戦時中は空襲がありましてね、何発も池や周辺に落ちたんですよ。それも時限爆弾でね、夜の空襲(*編集者注)の後、朝になって避難先から家に戻ったら公園の方からボンボンと爆発音がして土煙が見えるのですよ。戦後しばらくは不発弾処理が続きましたね。
物心ついてから75 年間。このまちに井の頭公園がないとしたら寂しいですね。ここ最近の吉祥寺の人気は井の頭公園の存在によるところが大きいと思いますよ、それだけに、昔のようにきれいな池に戻って欲しいし、あのアカハライモリにも会いたいと思うけど、無理だろうな。でも、今日も女房と公園に行ってきました。私にとってはなくてはならない存在ですね。(談)
(株式会社らかんスタジオ 取締役会長)
文 川井信良
*編集者注
(一九四五年)四月二日未明に行われた夜間空襲は、(略)「夜間精密爆撃」の一つであり、中島飛行機武蔵製作所を「第一目標」とする作戦であった。(略)犠牲者は二五〇名以上に及んだ。(略)この空襲については、大量の「照明弾」ならびに「時限爆弾」を使用している。
『戦時下の武蔵野Ⅰ』牛田守彦著/ぶんしん出版刊 より
※本記事は掲載時点の情報であり、最新のものとは異なる場合があります。
(『いのきちさん』2号 2012年1月1日発行 掲載)
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