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私と 井の頭公園 |その3「池の水を撒いたら道路がピンクに染まったの」 冨岡俊子

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『いのきちさん』過去記事紹介(『いのきちさん』3号 2012年3月1日発行 掲載)
―2011年11月から2017年11月にかけて刊行された、井の頭恩賜公園100周年カウントダウン新聞『いのきちさん』。ご愛読くださっていた方々の声にお応えし、掲載当時の記事をご紹介していきます―

池の水を撒いたら道路がピンクに染まったの

冨岡俊子 (小金井市在住)

 

52年前にこの茶店にお嫁に来たの、もちろんお見合いね。当時はまだガスが無くてかまどでご飯を炊いたのよ。主人は武蔵野市役所に勤めていたから、茶店はお姑さんと私で切り盛りしてね、とてもいいお姑さんで、モダンな人だったわ。店は、大正6年にはあったそうよ、多分ここが恩賜公園になった時にすぐ始めたんでしょうね。だから、公園の100周年は茶店水月の100周年なんですよ。

お嫁に来た当時の井の頭池は、それはそれはきれいでしたよ。水草がそよそよ揺れて、井の頭音頭(注)に歌われている「池に浮き草浮いているが、いくら眺めても根は切れぬ」という感じ。井の頭池といえば、びっくりした思い出があるの。暑い日だったと思うわ、当時は前の道が舗装されていないでしょう、土ぼこりがするから池の水を汲んで道路に撒いたの、そうしたら道路がピンクに染まったのよ、びっくりしたわ。よく見たら、何だと思う、エビがたくさん、熱くなっていた地面の上で茹で上がっていたの。すごいでしょう。聞いたら、昔はみんなそのエビを食べていたそうよ。

茶店の方は、5年位してからお店を任せてもらうようになり、とにかくお団子、おしるこ、味噌おでん、カレーライスなど、工夫してね、評判になったものがいろいろあったの。朝から夜中までよく働いたわ。今でも花見の頃は徹夜になるのよ。最近は、お店も増えたから、昔ほどではなくなったけれど、前はそこのいせやさんから丸井に抜ける道は、寂しい道でね、お店が二軒しか無かったのよ。

今はね、恩賜公園100周年と水月100周年に何かお祝いをしたいので、いろいろ考えているところ。公園とお客様とお世話になった人たちに何か恩返しをしたいの。

(七井橋たもとにある 花見茶屋 水月 店主)

 

文 川井信良

 

(編集者注)『井の頭音頭』は、昭和29年ビクターレコードから発売された。作詞:野口雨情、作曲:森義八郎、編曲:服部良一、唄:榎本美佐江。http://www.youtube.com/watch?v=06M9tE7slEQ で、聞くことができる。

※本記事は掲載時点の情報であり、最新のものとは異なる場合があります。
(『いのきちさん』3号 2012年3月1日発行 掲載)

 


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