『いのきちさん』過去記事紹介(『いのきちさん』4号 2012年5月1日発行 掲載)
―2011年11月から2017年11月にかけて刊行された、井の頭恩賜公園100周年カウントダウン新聞『いのきちさん』。ご愛読くださっていた方々の声にお応えし、掲載当時の記事をご紹介していきます―
井の頭自然文化園の資料館開館に協力した小学5年生たち
須田孫七 (杉並区在住)
僕はね、生まれてすぐ重い病気にかかったんですよ、4歳まで持たないって。包帯をぐるぐるに巻かれてね、不憫に思ったんでしょうね、祖母が土日に 井の頭公園 まで連れてってくれた。昭和9年、井の頭池の中之島に小動物園(注)ができた頃ですから3歳の時です。餌をあげたりして一日楽しんだわけです。家に帰れば帰ったで、周りに昆虫が沢山いるというので、やはり祖母がいろいろ見つけてきてくれました。それが昆虫少年の誕生です。
その後、病気も徐々に治まり、小学生の頃には石神井の昆虫学者加藤正世先生が開いている昆虫の同好会に入っていました。そのとき聞いたのが、今度開園する井の頭自然文化園の中に資料館が出来るという話です。
実は、加藤先生は東京府から資料館の展示を任されていたのです。自然文化園の開園は、太平洋戦争が始まって半年後ということもあって、標本類が集まらなかったのでしょうね。そこで、小学5年生だけど、100箱以上の標本を持っていた僕が目をつけられた(笑)。病気だった僕は遠方にはいけないから近場の昆虫だけです。それも良かった。園の方針は東京の昆虫展示ですから、ぴったりの標本だったんです。
それでも足りなかったから、今度はクラスメイトの標本とか、もっと採集しようということになったんですよ。これには訳があるのです。僕の桃井第二国民学校5年2組の担任は西沢二郎先生といって、理科教育に熱心な青年教師で、加藤先生や後に自然文化園の園長となる木村四郎さんとも知り合いで、良い資料館を作りたいという思いに賛同していたんですね。それが、5年2組の協力につながったのです。
そんなわけで、自然文化園の資料館は5月17日の開園に間に合わず10月3日に開館したのですが、開館にこぎつけた陰には小学5年生が標本を提供したり採集した協力があったということなんです。
(東京大学総合研究博物館研究事業協力者)
文 川井信良
(注)1934年5月5日に、現在の井の頭自然文化園分園にあたる場所に開園。東京市役所が制作したパンフレットには『井の頭恩賜公園動物園』となっている。
※本記事は掲載時点の情報であり、最新のものとは異なる場合があります。
(『いのきちさん』4号 2012年5月1日発行 掲載)
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