『いのきちさん』過去記事紹介(『いのきちさん』5号 2012年7月1日発行 掲載)
―2011年11月から2017年11月にかけて刊行された、井の頭恩賜公園100周年カウントダウン新聞『いのきちさん』。ご愛読くださっていた方々の声にお応えし、掲載当時の記事をご紹介していきます―
58年前の『ミス井之頭』と老カメラマンの再会近し
土屋 恂 (三鷹市在住)
私は、昭和9(1934)年、小学校1年生の時に父親が勤めていた千代田光学工業の移転に伴い荒川区尾久から三鷹村牟礼に引越をしてきたのです。当時は梅林や松林や畑に囲まれた一軒家でしてね、 井の頭公園 も至近距離だし遊び場には事欠きませんでした。
当時の井の頭公園は、年に数回、長雨が続くといたるところからきれいな湧き水がじゃあじゃあ流れてきて歩けないくらいでした。あの『御茶ノ水』から湧き出る水はよく飲みましたよ。とにかく、池の水がきれいだった。細長い水草が池一面に茂っていて、それが池尻に向かってそよそよと流されているのが印象的でしたね。その水草を一年に一度くらい箱舟を漕ぎ出して刈り取るのですね、その作業を目ざとく見つけ、友達とその刈り取った水草についているエビを空き缶に入れて茹でて食べるんですよ、それは美味しかったですよ。
その池も、残念ながら汚れてしまいました。水がきれいで、魚やカイツブリが元気に泳いでいないと、井の頭池ではないですよ。本当に寂しい思いです。餌やり禁止とか、雨水浸透枡の設置とか、皆がもっと協力しないといけないでしょうね。それと、あのスワンボート、井の頭池には似合わないですね、手漕ぎボートだけでは駄目ですか。
(編集者注)父親の仕事の関係で、小学生の頃から写真の現像の手伝いをしていた土屋さんは、早くからカメラマンとしての経験を積み、毎日新聞社の主催する日本報道写真連盟に登録し、昭和29年から30年にかけて週末や休日に写真と記事を投稿していました。その中の一本に、「ミス井之頭に八頭身 万の観衆・押すな押すな」の見出しで昭和29年に開催された第2回井之頭カーニバルの中の美人コンテストの模様が紹介されました。そのミス井之頭の加藤幸代さんと、58年ぶりに再会するという話が進んでいるのです。
それはびっくりしましたよ、あのミス井之頭から電話があったのですから、うれしいですね。私は是非お会いしたいと言いましたよ、彼女も会いたいと言ってくれました。写真も撮りますよと言ったら、照れていましたが、それも楽しみです。早く会いたいですね、井の頭公園のご縁ですね。
(つちやじゅん ・ カメラマン)
文・写真 川井信良
(編集者注)土屋恂さんは、写真集『吉祥寺消えた街角』(河出書房新社2004年)と、『懐かしの吉祥寺 昭和29・40年』(ぶんしん出版2011年)を著作し、その『懐かしの吉祥寺 昭和29・40年』を見た『ミス井之頭』の加藤幸代さんからぶんしん出版に問い合わせがあったのが発端です。
※本記事は掲載時点の情報であり、最新のものとは異なる場合があります。
(『いのきちさん』5号 2012年7月1日発行 掲載)
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