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私と 井の頭公園 |その6「『ミス井之頭』から波乱に富んだ人生が」 加藤幸代

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『いのきちさん』過去記事紹介(『いのきちさん』6号 2012年9月1日発行 掲載)
―2011年11月から2017年11月にかけて刊行された、井の頭恩賜公園100周年カウントダウン新聞『いのきちさん』。ご愛読くださっていた方々の声にお応えし、掲載当時の記事をご紹介していきます―

『ミス井之頭』から波乱に富んだ人生が

加藤幸代 (神奈川県茅ヶ崎市在住)

 

「これサッチャンじゃないか」って、昔の級友が『ミス井之頭』の写真を見つけてくれて、教えてくれたんですよ。「今頃どうして私の写真が本(注1)に載っているの」って、びっくりしま してね、それで、早速本を購入して、写真を撮ってくれた土屋さんにお礼を言いたくてお会いしたのですよ(『いのきちさん』5号参照)。

58年前のあの時、父親に叱られましてね、美人コンテスト出場の通知が来て、「陰でこういうことをやっているのか」っ て。父はあの近藤勇の流派、天然理心流の八代目加藤伊助修勇なんです。結局、コンテスト応募は友達が勝手に投函したということが分かり、叔父さんの説得もあって、父もしぶしぶ承諾したのです。そういう父も、ミス井之頭になった日に、三鷹の美登里家(注2)でお世話になった方々を招いて祝賀会を開いてくれました。賞金の半分くらいを使って、「こういうお金はきれいに使わないとだめなんだ」と言って。

ミス井之頭になってから環境が一変しました。東宝や大映などの映画会社からスカウトが来て、結局、あこがれの京マチ子のいる大映に行きましたが、映画の仕事は向いていませんでした。1年半ほど大部屋にいたかしら、でもその間、『ミス井之頭を写す会』のようなアルバイトをやらせていただき、いろいろなところに行くことができ、映画の仕事より楽しかった。

その後、映画会社の紹介で、伊勢丹のネクタイ売場で働くことになりました。事情があり、 それから今日まで一人で生きてきました。そんな波乱の人生の出発点になった『ミス井之頭コンテスト』は、 私にとって、忘れられない出来事なのです。

(かとうさちよ)

 

文・写真 川井信良

 

(注1) 本は『懐かしの吉祥寺 昭和 29 ・ 40 年』(ぶんしん出版)。 昭和 29 年8月に開催された武蔵野観光協会主催第二回井之頭カーニバルのイベント、第二回ミス井之頭コンテストに出場した加藤さんがミス井之頭となった写真と記事が掲載されている。

(注2) 太宰治も通った老舗の鮨店で、三鷹駅南口近くにあった。 初代の店主が井の頭池七井橋たもとで天秤棒を担いでい る古い写真がお店の入口に飾ってあった。

※本記事は掲載時点の情報であり、最新のものとは異なる場合があります。
(『いのきちさん』6号 2012年9月1日発行 掲載)


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