『いのきちさん』過去記事紹介(『いのきちさん』7号 2012年11月1日発行 掲載)
―2011年11月から2017年11月にかけて刊行された、井の頭恩賜公園100周年カウントダウン新聞『いのきちさん』。ご愛読くださっていた方々の声にお応えし、掲載当時の記事をご紹介していきます―
松本訓導は私の伯父 なぜか三鷹にご縁が
松本吉見 (三鷹市在住)
大正8年(1919年)11月20日、 井の頭公園 の中を通っている玉川上水で、東京市麹町区(現千代田区)の永田小から遠足に来ていた児童一人が玉川上水に落ちてしまった。教員(訓導)の松本虎雄先生(当時33歳)が助けようとしたが、急流に力尽き溺れ死んでしまい、児童は通りがかりの人達(注1)に助けられた。93年前のことである。
玉川上水ほたる橋の上流100mほど、小さな丘の上にある『松本訓導殉難の碑』が、その殉職を後世に伝えている。奇縁だが、その松本先生の甥に当たる方が三鷹に暮らしている。松本虎雄さんの妹のご子息、松本吉見さん(77歳)である。
伯父が立派な人だったことは、母の直子から聞いています。学究肌で思慮深い人だったそうです。伯父が眠っている雑司ヶ谷の墓地には、今でもよく墓参りに行っています。
エピソードがあるんです。殉職した後、全国にこの事故が報道され、葬儀も麹町区による大変大きなものになりました。手伝いに来た社会教育団体の職員の一人に母が見初められたのです。その男性が私の父の松本藤一郎でした。母が一人っ子になっていたので、父は長男でありながら入り婿となったのです。その時代としては大変な決断で、よほど母に惚れたようですね。(笑)
今私が三鷹に住んでいるのは、訓導碑があるからというわけではなく、なにかご縁があるからですね。大学は三鷹の国際基督教大学(ICU)、2期生です。実は東大にも受かったんですが、国際的な自由な校風を望んで、当時は無名のICUに決めちゃいました(笑)。担任の先生から「お前なに考えているんだ」とだいぶ叱られましたが、これも一徹な伯父の血の影響かもしれません。今の私があるのはICUのおかげであり、大学がある三鷹、井の頭公園がある三鷹、に引かれてきたのではないかと思っているんです。
家から近いので時折井之頭の池を歩き、伯父の殉難の碑にお参りをしております。特に、桜の咲くころの井の頭公園がいいですね。その公園を紹介している『いのきちさん』によって、伯父のことが改めて広く伝わることは、甥としてとてもうれしいです。
(まつもとよしみ)
文・写真 川井信良
(注1)井の頭公園に遊びに来ていた呉服関係の社員さん3人が助けた。その一人、大原玉治さんのご遺族の話によると、騒ぎを聞いて駆けつけたところ、流れが速く、友人とともに着物の帯を使って助け出したとのことです。(『いのけん 井の頭公園検定公式問題解説集』ぶんしん出版より)
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(『いのきちさん』7号 2012年11月1日発行 掲載)
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